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スピリチュアルな視点で亡くなったら人はどこへ行く?
事故、自殺、 病気それぞれ行き先が違うようです。
そして、これだけはダメというなくなり方があるようです。
今回は、 江原正弘さんがラジオで語った亡くなった人の行き先について、スピ リチュアルな視点からのお話をまとめてみました。
急なお別れ
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事故で亡くなった場合
まず、事故で無残な姿で亡くなったとしても、 幽体が傷つくことがないので、 惨たらしい坂田であろうがなかろうが、 死後の世界では全く関係がありません。
一番大切なのは思いです。
事故による足指の場合苦しみを持たずに死ネタと言う面においては 実は幸せな姿であるとも言えるのです。
ただ事故現場等で、自分で死んだことに気づかず、 呆然と立ち頭さんでいる例を私はよく見かけることがあります。
これはあまりにも瞬間的に違う訪れたため、 私を自覚できないことから起きる現象です。

病気で安らかに亡くなった場合
あまりにも安らかに眠るように亡くなった場合、 あまりにも安らかすぎたために死への移行に気づかないことがあり ます。
自分が亡くなったことがわからないのです。
特に若い方がなくなった場合は、 また肉体に戻れるのではないかと、何度も肉体に帰ろうとします。
これは逆に不幸といえますよね。
人がなくなるケースとして1番多いのは病によるものだと思います 。
病気で苦しんで亡くなった場合
しかし、病で壮絶な苦しみを味わいなくなったとしても、 苦しみは肉体に宿っているものですから私と同時にその苦しみから は解放されます。
魂は楽になることができます。
ただ、 あまりにも苦しみを伴った場合は死後すぐにその苦しみから解放さ れないことがあります。
何故かと言うと、 その人自身が苦しいと言う思いにとらわれてしまうからです。
これは生きている時にもよくあることですよね
例えば具合が悪い時精神力で乗り換える場合もあれば、 具合が悪いことを気にしすぎてもっと具合が悪くなると言う事は誰 にでもあると思います。
これと同じように肉体を捨てた魂でも、 本来なら楽になっているにもかかわらず、 苦しいと思い込んでしまうと幽玄世をさまよってしまうことがある のです。
生前から霊的な世界を知る事はとても大事なことではないでしょう か。
なぜなら次は誰にでも訪れるものだからです。

様々なお別れ
死の迎え方について、具体的な例をあげていきます。
死には人それぞれ、形があります。
死に方によって、 死後の世界に大きな影響を与えるものがあります。
自殺の場合
自殺はこの世に生まれてきた目的を果たさず、 自分に課せられた人生のカリキュラムを放棄することです。
これは一番不幸なことであり、自分自身にとって一番の罪です。
この世に生まれてきた目的は物質界で学ぶと言うことです。
私たちが味わう苦しみや困難はこの物質回でなければ味わうことが できません。
私たちはその苦難を乗り越えることによって人格を高めることがで きるのです。
ですからこの物質界を目指して生まれてきてにもかかわらず途中で 体的世界に帰ってしまうと言う事は、 自分自身にとって1番不幸なことなのです。
自殺する人は、自殺することによって
『苦しみから解放される』
『次の人生で1からやり直しができる』
と思い自殺をするのでしょうが、 私が今まで見てきた自殺者の霊は皆、死後、 後悔の念にさいなまれています。
そして苦しみから解放されることなく、 幽玄世界と現世の間にずっととどまってしまうのです。
だからいくら人生に疲れを感じたからといって自らの力で人生を投 げ出すような事はやめてください。
定められた時間を最後まで生き抜いて死んだ方が現世での苦しみか ら解放され、 霊的世界で安らかに暮らせることを忘れないでください。

罪を犯しての死の場合
「目には目を」この物質世界から魂を消滅させようとする行為。
霊的視点から言えば、死刑によって殺された魂が、 いかなる道をたどるかについて注目しなければなりません。
罪を犯す人たちの、その人自身の不幸な生い立ちや、 不幸な現象による被害妄想であるのか、 様々な理由があると思います。
しかし死刑と言う制裁で現世を去った魂には、 この世に恨みを募らすことになり、 現世をさまよい続けることがあります。
そしてその魂が、憑依という現象を起こすことがあるのです。
同じようなくすんだ心、または曇った魂を持った魂の人に憑依し、 同じような犯罪を起こさせるのです。
ですから、スピリチュアルな視点から見れば、 死刑と言う方法ではなく、 この世にいる間反省を促せる終身刑の方が魂の救済になると思うの です。

他人に殺められた場合
霊的世界から見ればこれは一般的な姿と変わりはなく病や事故で亡 くなるのと同じように魂は解放されます。
それは戦争などで命を奪われた魂でも同じことです。
もちろん殺された無念さから自らを苦しめる事はあります。
しかし霊的な世界では他の人たちと平等な安らぎが待っていると言 えるでしょう。
幼い子供などはもともと現世に来て間もない魂です。
ですから霊的世界にいたときの感覚がまだ残っているので、 中長く現世に生きて死んだ人よりも、 霊的世界への順応は早いといえます。
幼い子供の未浄化霊の姿を見る事はもちろんあります。
けれども、幽玄街にさまようポイントはただ1つ、 子供を失った家族の執着や、 思いが浄化を遅らせる原因となっています。
幼い子供を失った場合必要以上にその魂を追い求めるのは子供にと って逆に幸せなことではありません。
幼い子供を私によって失う悲しみは何物にも変えがたいものです。
しかし魂は永遠の存在であることを忘れないでください。
この世に行ける期間が長かったか短かったかが問題ではありません 。
彼らは幼いながらもこの世で十分に学んで、 故郷である霊的な世界へ戻っていきます。
ですからもし子供がなくなった場合伝説世界場所に留学させる思い 出その子の親を受け入れてあげることが上にとって大切なことなの です。
安楽死の選択
スピリチュアルな意味では安楽死を受け入れる事はできません。
なぜならば人の姿はすべて宿命として決まっているからです。
このまま生き続ける生き続ければもっと苦しくなるだろう
または誰にも迷惑をかけたくないと言ったその心情は理解できます 。
しかし私たちは、遅かれ早かれ霊的世界に向かいます。
この現世で様々なことを経験し、 輝かせようと思って生まれてくるのです。
その目的を達成するため、 定められた時間を最後まで生き抜くことがやはり大切なのです。
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